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書におけるさまざまな領域を学ぶことの意義(2007年9月号) [2007]

 書道の分野を大きく二分するものとして「漢字」と「かな」があります。「漢字」
は主に「漢詩」「漢文」を題材とし、「かな」は「俳句」や「和歌」を題材とします。
 「書」の世界では「漢字書家」「かな書家」、はたまた硬筆を専らになす人や、毛
筆しか扱わない人、臨書を専攻する人など、その領域の分けぶりは実に多様です。そ
れぞれの領域は、一生かかっても極めようのないほど深遠なものであり、それぞれに
専門家と言われる人が存在するのも当然です。
 私の場合、何が専門かと聞かれれば、「実用書」と答えることにしていますが、も
ちろん書の様々な領域に関心があり、時間の許す限り書を多方面から学ぶよう心掛け
ています。その中で常々思うことに、同じ漢字文化圏の文字でありながら「漢字」を
書く時と「かな」を書く時の書きぶりの大きな違いには特別の驚きを持って接してい
ます。「かな書道」とは言っても、正確に言えば「漢字」と「かな」が混在している
わけですし、「かな」といえども漢字の草書体に近いものなのですから、例えば漢字
を多く使用している「かな」の書などは、大きく崩した漢字の草書体の作品と大差な
く書いてもよいはずです。
 実際に、この「漢字の多いかな作品」と「大きく崩した草書体の作品」を同じよう
に書いてみることは可能でしょうし、私も作品化したものを見たことはしばしばあり
ます。ただ、どうしても、それぞれが高度な鑑賞に耐えうるような洗線された美しさ
をもってせまってくるような感じがせず、結局は、伝統的な「漢字」や「かな」の古
典美といったものに落ちついてしまいます。特に「ちらす」と言った書きぶりは「か
な」特有のもので、これも「漢字」ですると、わざとらしい感じがどうしてもしてし
まいます。
 なぜこのような書きぶりに違いが出てくるのか考えるに、私はそれを読む時の人間
の脳の働きを関係があるのではないかと推察しています。人間の脳の中では「漢字=
表意文字」「かな=表音文字」を処理する領域が異なっていることが分かっています。
表意文字だけで文を読ませる「漢字書」と表意文字と表音文字の混在する「かな書」
では、頭への刺激が違ってくるはずです。
 書の様々な領域に触れて見えてくるもの、そしてそれぞれを比べてみることは、大
きな労力を要するものですが自分の学習の方向性を明らかにする上で確かな方法であ
ることに間違いありません。自らの分野にこもることなく広く学ぶことをぜひお薦め
します。