SSブログ

「書」は科学出来るか?(2009年2月号) [2009]

 昨年の暮れ、書道雑誌「墨」主催の座談会で二回程、脳科学の研究者と「書」について語り合う機会を得ることが出来ました。研究の興味の所在や手法、方向性などあらゆる面で異なる者同士が、それぞれの専門知識や経験に基づいて「書」を科学してみようというわけで、予想通りかなり噛み合わない点があったものの、うっすらと
ながらこれから何をすべきかが感じとれたような気がしました。
 例えば、下図はカニッツアの三角形と呼ばれるものです。kantogenzu212.gif
人は何かを目で見ると、その信号はまず頭の後ろに届きます。
それが何であるかを判断するのは次の段階で、頭の上の方や側面の脳の部分にそれは送られます。認知症になった人が視力は普通なのに、ごく身近な親しい人間の顔さえ見分けがつかなくなるのは、この部分の活動が低下しているためです。下図には二つの本来ないはずの三角形が見えてきませんか。これは見えない輪郭に対して反応する人間が持つ高次な脳の細胞があるおかげなのです。
 かなのちらし書きなど、布置の工夫には見えない輪郭というものが重要であり、書作品の創作などにはこうした脳の仕組みが大きく作用していることがわかります。書作品を製作する際には、指のごく細かい動き、文字の認知などを含めた脳の高い能力を総動員しなければなりません。また逆に言えば、名品を鑑賞するにもそれなりの脳
の力が必要になってくるわけです。
 書写、書道研究者がよくこぼすことに、科学者らと共同研究を進める際、彼らがあまり書について詳しい知識を持っていないといいます。もちろんそれはあたり前のことで、我々が首までどっぷり従前の書の世界の中に浸っているからそう感じるだけでしょう。とはいえ、その対話は始まったばかり、高村光太郎をして最後の芸術と言わせしめた「書」の可能性に、高い険しい山を登る思いで気力を充実させ挑んでいかなくてはならないと思っています。