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なぜ漢字が書けなくなるのか(2009年9月号) [2009]

 携帯でメール、ビジネスの文章作成はもっぱらパソコンと、最近字を書く機会が少なくなってきたようです。それと比例するかのように「書こうとする漢字が思い出せず書けなくなった」とよく聞くようになりました。パソコンで使うべき漢字を選んで文章を作ることは出来るのに、いざ手で書こうとするとなぜ思い出せなくなるのでしょうか。
 この理由について世間の考えを大別すると、1)気のせい。2)キーボードばかりで漢字を打っているので書く感覚なり記憶が劣化している。3)パソコンの長時間の使用により、右脳の頭頂葉が廃用性の萎縮を起こしている。
 漢字が書けなくなる、それも大学迄卒業した大人が小学校低学年程度の漢字が書けなくなるという現実をふまえると、この事態を無視してよいとは思いません。これは研究者よりも本人の方が強いショックを受けるようで、1)の気のせいにしておくべき事柄ではありません。2)のいつも書いていないから書けなくなる、という説は一理あります。れはいわゆる脳の「技(わざ)の記憶」の範疇問題です。例えば一度覚えた自転車の乗り方などは、長いブランクがあっても意外と覚えているものです。この「技の記憶」はそれを覚える間は大脳と小脳が協力しますが、覚えきればそれこそ大脳の「考える」という作業なしに小脳の「技の記憶」として行なわれます。脳出血などで右脳の頭頂葉に障害を生じた人が、パソコンでは問題なく文章を書けるが、手書では漢字が書けなくなる症状を呈することがあります。このような症状の人は運動神経、つまり技の記憶で書くと何とか書ける、のだといいます。
 「漢字を認識する」という行為は脳の後頭葉(後頭部)から、次に認識するところである側頭葉(右耳の後ろあたり)に送って成り立つものです。これは比較的脳の近い領域で行なわれるものです。一方「手で書く」ことは積み木をするような行為で右脳の頭頂葉(頭のてっぺんの右あたり)の働きを必要とします。これは「見る」や「読む」のとは脳の中で比較的遠い領域で行なわれているものです。パソコンで漢字を選ぶことは出来ても、実際に手で書けなくなってしまうのは、以上のことを考えあわせると3)に起因していると考えるのが妥当でしょう。
 脳はそれ自身、硬い頭蓋骨の内に隠されています。知覚や痛覚がないため筋肉のようにここを使っていないとは分かりづらい特殊な器官です。ごく簡単な漢字が不思議なほど書けなくなるという事実は自らの脳の異常を自らが察知することが出来る貴重な機会です。
 人類史上かつてない便利な機械が暮らしの奥深く迄浸透している現代です。その進歩につり合うように、脳の健康維持にも注意を向けることが、結局のところ我々の幸福と繁栄につながるということは忘れてはいけません。