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相馬御風の書と詞(2013年8月号) [2013]

 相馬御風(そうまぎょふう・一八八三~一九五〇)は、明治から昭和にかけての詩人、文芸評論家です。早稲田大学の校歌「都の西北」の作詞者としても知られます。その他にも日本大学の校歌を始め、全国の学校の校歌を数多く手がけています。特に郷里の新潟県下における御風作の校歌は実に百校を数えます。より身近で、多くの人が知っている歌なら「春よ来い」もあります。「春よ来い 早く来い あるきはじめたみいちゃんが 赤い鼻緒の じょじょはいて おんもに出たいと待っている」。耳なれた詞とリズムがよく調和し、我々の心に懐かしく響きます。この歴史に残る詞の数々と、その慈愛に満ちた作風は、いったいどのように生まれたのでしょうか。
 御風は幼い頃、字を書くのが苦手であったといいます。御風の随筆「母のおもいで」には以下のような一節があります。――「どうしてこの子はこう生薑(字がへたなこと)だろうか。」私は幾十遍こうした母の嘆声を聞いたかわからない。私は生来どういうものか字をかくことが下手であったので、手習いをするたびに母に叱られた。楽しかるべき正月二日の書初めも、母のなさけなさそうな顔を見るのがつらくて、私にとってはむしろいやなことの一つであった。―― 十歳の頃の御風(本名昌治)の書いたものを見ると、確かに字形が整っているとはいい難く、あまり上手とは言えません。しかしながら、よく見ると細部の点画にまで十分な注意を払い、丁寧な運筆をしているのが分かります。また筆力も強健であり、配字も悪くありません。三十代頃になると字形のバランスは改善され、さらに運筆や、線の表情が豊かさを増し、書に深い滋味が加わってきます。
 元日本近代文字館理事長、小田切進は御風の書を絶賛しています。――近代文人の名筆家というなら、わたしは先に挙げた漱石らに、新潟からでた相馬御風と会津八一を挙げなけれはならない、と思った。御風の簡浄・淡雅でほのぼのと心のあたたまる筆跡は、近代文人の書をつうじて卓抜している。漱石らにも逸品はあるが、御風を超える書を私は滅多に見ていない――(「御風・その書とこころ」より)
 文字を書くのが苦手としながらも書き続け、優れた言葉の能力を発揮し、慈愛溢れる高い人間性を獲得した人は歴史上多くいます。脳の活動における細かい手の動きと言語との深い関係が明らかになってきている今、文字を手で書くことの大切さをもっと多くの人が知るべきと感じています。