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書画琴碁詩酒花(2019年1月号) [2018]

 あけましておめでとうございます。昨年中は会員の皆様と共に平素の教室、行事等を無事行えましたこと御礼申し上げます。今年は四年に一度の誌上展の開催の年でもあります。日頃の稽古の成果を形に残すよい機会です。皆さまの参加を心よりお待ちしています。
 冒頭の言葉「書画琴碁詩酒花」は、古来文人墨客が友として楽しむ七つの事柄を指したものです。新春の雰囲気にも合う雅な言葉です。脳科学的な視点からみれば、「画」は視覚野を、「琴」は聴覚野を、「詩」は言語野を通して脳に刺激を与えます。「碁」などの勝負にかかわるゲーム的要素のある活動は、前頭前野の一部が活発に動き始めることが分かっています。また「酒」を飲むと大脳皮質の「抑制」「判断」「注意」……などといった人間の高次な機能は低下しますが、そのかわり、それに抑えられていた大脳辺縁系といった人間の本能的な部分が顔を出してきます。人間は大脳皮質だけで生きているわけではないのですから、人間の脳活動の源ともなる脳の領域の活動を促してみるのも大切なのかもしれません。李白を始め、歴史的にも活発な言語活動をなした文人に、酒豪が多かったのはこのせいでしょうか。「花」は造型的な美しさはもとより時節の移ろいを感じさせ、その香りも様々です。空間、時間、臭覚等、様々な感覚を同時に刺激します。そして「書」は詩のもつ言語性を始め、画や花が持つ造型性、琴にあるリズム性も以て脳の活動を促しています。
 脳は、様々な領域がそれぞれの役割を果たしながら協調して機能します。領域の境界は異種感覚心象間の転換が行われるとも言われ、例えば「黄色い声」などといった色と音の異種の感覚が連結します。人が脳の様々な領域どうしのつながりを深めるためにも先に述べたような様々な経験を積むことの意義があるのです。こうした脳の配置は人間が決めたことではないし、もし人工知能を、より人間に近いものにするとしたら、これを模さなくてはならないでしょうし、そもそもその必要はないでしょう。
 世界はIT技術を通して様々な情報を手に入れられるようになってきています。しかしながら書画琴碁詩酒花を楽しみきれる脳が育まれているとは言い難いようです。手指の微細な感覚や、花自体から発せられる香りは実体験からしか得ることは出来ないからです。シリコンバレーの先駆者たちの少なからずが、その子弟を経験を重視したシュタイナー教育で育てていると聞きます。便利すぎる機械に囲まれていればいるほど身体を通したリアルな経験の大切さが分かってくるのかもしれません。
 世はさらに利便性、合理性を追求する道を突き進んでいます。これも行き過ぎて依存しきれば人間の能力は低くなり、機械に逆に使われるようになってしまいかねません。問題は、機械に極度に依存する未来の社会が、どう機械を使いこなすべきか考えることのできる人間自身の脳機能を維持し続けられるかということにあると思います。人間の知能と人工知能の競争はあと十数年でその臨界期を迎えることでしょう。本会の活動がその備えの一助となれば幸いです。