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令和の時代の手書きの役割(2019年7月号) [2019]

 様々な事件が日々起こる中で、防犯カメラやドライブレコーダーが威力を発揮するようになりました。一昔前ならうやむやにされそうな事件も動かぬ証拠で犯人を追いつめます。科学の進歩は真実を現にし、犯罪の抑止にも役立っています。一方で家庭の中などプライベートな空間に迄こうした機器を設置するべくもなく、まして心の中まで写しだしてくれるカメラなどはありません。人の心に起因する諸問題が山積する中、水際の法によって制しようとしても根本的な解決にはなりません。「法多くして国危うし」とはよくいったものです。
 「書は心の中身を描き出す絵」とは江戸の頃より言われてきたことです。メモ一つを見てもあの人の字と分かったり、筆圧や点画の書きぶりで、その人の心のようすが窺えたりするものです。大脳皮質にはそれぞれの領域に役割があり、人が手書きする場合、空間、言語、リズム、手指の細かい動きなど、脳の広い領域を同時に動かします。ですから脳のちょっとした変化が手書きの文字には現れてきます。
 ボタンやパネルにタッチすることにより日本語を書けるようになっておよそ三十年が経ちました。欧文タイプライターは一八七〇年代に実用化されましたが、その三十年後にドイツやフランスで手書きを学ぶ学校が出来始めています。現在の日本も同じで、手書きに対する世間の関心の高まりを肌で感じています。
 日本語のタイピングは、英語などと違いスペリングを考えることなく音を入力するだけで書き上がるので簡単です。逆に手書きすれば数千からの漢字に加え、かなを交ぜ書きしなくてはなりません。日本の書字言語は、タイピングすると世界でも最も易しくなり、手書きすれば最も難しい部類になります。このタイピングと手書きの差異については、脳活動測定機器などによりデータからも明らかになっているところです。
 言葉を司る領域は、人のモラルの所在とされる前頭前野と重なります。「言葉の乱れは国の乱れ」とも言います。科学が行きつくところ迄来た感のある今日、同時にモラルの低下が大きな問題を引き起こしています。ごく身近で目立たない手書きの存在が、令和に繊細なひびきを覚えるが如く、その役割を果たしてくれることを期待しています。