SSブログ

情報化社会における書道を学ぶ意義(2020.7月号) [2020]

科学の発達は、情報通信の技術を向上させ、現代人が一日に触れる情報量は江戸時代の一年分、などと耳にする程です。この「情報」とは、主に視覚、聴覚、文字情報であり、脳がこのような情報ばかりを処理しようとするのなら、人間の情報処理の中枢である脳の領域は、さほど大きく使用する必要はありません。
 そんなわけない、と考える方も多いと思います。しかし、実際に大脳皮質における手指の動きに関わる領域は四割近くもあります。いわゆる「情報化」と呼ばれる「情報」には触覚や圧覚といった脳の機能はほぼ必要とされません。また積み木をするような形を構築する能力は脳の右半球を大きく使用します。現代の人の脳は洪水のような視覚、聴覚、文字情報にさらされながら、それを脳全体の機能を駆使して処理しきれておらず、バランスを崩しているのではないのでしょうか。
 こうした視点から捉えると書道はリズムを伴う手指の細かい動きや、積み木をするような造形性が高く、全脳的な活動であると脳の研究者らも指摘しています。尚、手指の運動における手書きとタイピングの脳の活動の差異については、拙稿、「書字と脳の研究」をご参照ください。書道は、このように脳の広い領域の活動を促しつつ、またその同時進行的な活動の中枢である前頭前野の機能を向上させる役割があります。
 人間の脳の発達は、科学の発達と比例しているわけではなく、特に注意、判断、モラルなどといった能力は以前より低下しているのではないかと思われる事が多いように感じられます。昨今のコロナ禍でベストセラーとなったカミュの小説「ペスト」には「ペストと戦う唯一の方法は誠実さである」としています。高度に発達した科学技術と、その恩恵を受けコントロールすべき立場の人間の能力との均衡は、いつかは大きな破綻を来すはずです。情報化社会において書道を学ぶべきは、このあたりにもあると思います。