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言葉を書くということ(2022年11月号) [2022]


 文字を書く時と、絵を描く時の脳の活動の違いを調べた興味深い実験があります。これは脳の活動を測定するNIRSという機械を用いたものです。まず、線画で描かれた絵のカードを次々と提示して被験者はその形を写していきます。そして今度は、はさみや紙、えんぴつなどの絵のカードを次々と提示し、その絵が何であるか文字で書いていきます。そして再び線画で描かれた絵のカードに戻り、これを繰り返していきます。NIRSの計測によれば、線画を描いている時は主に脳の右半球が活動し、文字を書いている時は、脳の右半球に加え、言語を司る左半球も同時に活動を始めるという結果が得られました。手で文字を書く際には脳の中で使用しない領域がないと思われる程だ、と指摘する脳科学者もいます。
 文字には形と読みと意味の三つの要件があります。絵を描くのと比べ、文字には読みや意味といった要素が加わってくるため、脳はより広い領域を同時に使用せざるを得なくなります。高村光太郎(一八八三~一九五六)は、詩人であり彫刻家でもあります。光太郎は、その著書『書の深淵―最後の書論―』の中で「書をみるのはたのしい。画は見飽きることもあるが、書はいくら見ていてもあきない。またいくどくり返してみてもそのたびに新しく感ずる。」と述べています。文字は本来、言葉を表す記号であり、その記号に絵画的な要素が加わり過ぎれば、書としての価値は相対的に低くなることでしょう。絵画には文字記号の制約がなく、造形的な価値を追及することが出来ます。
 展覧会に出かけたりすると、草書体や変体がな、難解な漢字で書かれた作品が展示されています。そんな作品の読みと意味も知りたくなるものです。書作品には釈文という文章が付けられることがあります。これは作品を言葉として理解、鑑賞することを手助けしてくれる説明書きです。展覧会などでは、多くの作品を歩きながら見ていくため、この釈文は一息で読める位の長さが適当です。この釈文のつけ方次第で作品の表現も大きく変わるとさえ言えるでしょう。
 光太郎は「書はやっぱり最後の芸術だな」とも述べています。この奥深き書の道を皆さんどう歩まれるか、来春の展覧会が今から楽しみです。