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日本の文字文化の奥深さに触れよう(2023年4月号) [2023]

 授業の中で過去の文献を声に出して読む場面で、その文を学生が読めないことがあります。これは戦後およそ四百文字程度の漢字が簡略化され、もとの形が旧字体となったからで、この七十余年前に使われていた漢字を学習する機会がなかったことに起因するものです。
 先日行われた大学入試共通テストの日本史に、筆文字で「蘭學」と書かれた設問がありました。日本史を学んでいく際に、こうした旧字体もしくは書写体についての知識は必須であるわけです。他方、英語圏は一六〇〇年頃のシェイクスピア文学でも現代の英語の知識があれば読むことが出来ます。日本の文字文化の分断は歴史の学習上大きな障壁とさえなっているともいえます。
 戦後、日本の文字が簡略化された理由は、まずGHQの意向があります。米・イリノイ大学総長ジョージ・D・ストダード博士を団長とする教育使節団は「現在の日本の文字の如く、暇のかかる表現と通信の手段を弄するといった贅沢なことをなし得る近代国家が一つでもあろうか。われわれは日本文字の徹底的改良が必要だと考える。」と述べています。また国内でも印刷の精度が当時低かったため、旧字体は繁体で文字がつぶれ易いということから出版業界などからも簡略化を歓迎したといわれます。
 後に、文字の簡略化を進めた東京大学言語学教授の服部四郎は昭和三十五年、以下のように語っています。「こう字が易しくなれば、つまりそれだけ学習の時間が負担が軽くなって、ほかのほうの学科に振向けることが出来る。学習の時間を取れる。そう簡単に考えておりましたが、実は人間は字が易しくなるとなまけるものだということに気づいたわけであります。」四郎は、思考の足腰、すなわち脳の機能を鍛えるためには、相応の文字の負荷をかけることが必要であることに気がついたということです。
 旧字体、書写体など、書を学ぶ上ではこうした難しい文字を使いこなしていかなくてはなりません。これはとりも直さず日本を深く知ることであり、それこそ贅沢な学びです。この豊かな日本の資源により多くの人が気づけば、この国の将来も再び輝きをとり戻すことと私は考えています。