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中国古典文献にみえる 書写書道教育と人間形成(2023年7月号) [2023]

 人間らしい心、すなわち人間以外の他の動物が持ち得ない恥や思いやりといった高等な感情、こうした心と書に関する文言については中国の文献に古くから見られます。『揚子法言』問神には「書は心画なり」とあります。この著書は前漢時代のものです。また「心正しければ、則ち筆正し」とは柳公権の著した『旧唐書』に見られる言葉です。心のありようが書に反映されるということは、この頃から既に言われていたということです。
 北宋の蘇軾(一〇三六~一一〇一)の著書『東坡題跋』巻四「論書」には、「書には必ず神・気・骨・肉・血有り。五者一を闕か かば、成書を為さざるなり。」という言葉が見えます。書には必ず神・気・骨・肉・血の要素があり五つのうちどの一つが欠けても、立派な書にはならないと述べています。蘇軾のいう「神」は、漢代以来の重要な芸術用語で、精神を意味し、形の対語として用い
られます。「気」は気力あるいは生気の意味です。明の項穆(一五五○?~一六○○?)の著書『書法雅言』には「書に性情有るは、即ち筋力の属なり。」という言葉が見えます。書に生命力や趣を持つ者は筋力を持つのと同じであると述べています。ここでいう「性情」は人の性質や心情を、また「筋力の属」は肉体の力を持つ者、すなわち人間を指しています。清の王宗炎(一七四九~一八二五)の著書『論書法』には「書を作る道は、規き矩くは心に在りて、変化は手に在り。」という言葉が見えます。文字の姿態や形勢に、気ままな筆づかいが見られず、きちっとした規範がそなわっている、これは心の働きになると述べています。
 他にも書と心のありようについての関連に触れている中国古典文献は数多くあります。書が人の心を表わすものであり、書写書道教育が人間形成と関連性を持っていることに昔から多くの人が気づいていたことが分かります。最近ではこれに脳科学の知見が加わり、なぜ「書は人なり」であるのかが解明され始めています。現代社会において書の役割は今後益々重要になってくるでしょう