SSブログ

宣教師が見た日本の教育(2023年8月号) [2023]

 習字を日課とした寺子屋は、江戸時代の教育を支えた庶民の学校として知られています。江戸時代が一六〇三年からとすれば、それ以前の教育はどう行われていたのでしょうか。
 フランシスコ・ザビエル(一五〇六~五二)は、日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師です。一般に戦国時代と言われるのが一四八〇~一五七〇年頃ですから、ザビエルはちょうどその頃に日本を訪れたことになります。ザビエルが一五四九年に知人に宛てた書簡には、日本人が子供を虐待せず大切に育てていると述べています。また、子供達の賢明さも賞讃しています。安土桃山時代の一五八五年に来日したルイス・フロイス(一五三二~九七)は、日本人女性の多くが文字を書くこと、教育において体罰を行わないこと、子供達は寺で学習すること、日本の教育はまず書くことを学び、のちに読みを学ぶこと、日本の子どもは十歳でも五十歳と同じくらいの判断力と賢明さ、さらには思慮分別を備えていることなどをその著書『日に ほ本ん 覚おぼえがき書』に記しています。この時代に日本を訪れた宣教師たちが日本のどの地域でどのような階層の人々と交流したかは定かではないものの、習字を中心とした江戸の寺子屋教育は、当時既に芽吹いていたことが想像されます。鎖国令の出された一六三三年以降一八五四年迄こうした海外から見た日本のようすの記録は極端に少なくなります。
 教育の中心が「習字」であり、それが人間形成を目的とすることであることは、機械で文字が打ち出せるようになった現在でも変わりません。手書きは文字の形態の正確な想起、運動計画、運動実行、視覚と手の巧緻な運動の協調、適切な筆圧を保つといった脳の非常に複雑な機能を統合的に必要とする行為であり、結果、その中枢ある前頭葉の人間の高次な機能の発達を促します。一方、機械で日本の文字を打ち出す場合、手書きと同じ言語活動でありながら手指の運動は基本的に文字の音韻に対応したアルファベットのキーを押す単純な行為となります。生成AIの存在がクローズアップされる昨今、人間の身体性にも注目が集まっています。人間が手書きすることの意味について考えなくてはならない時代が到来しています。