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文字の形の標準と許容について (2023年9月号) [2023]

文字をタイピング、もしくはパネルにタッチして書くことの多くなったこの頃でも、教育の現場で「書き取り」は必須の課題です。私が学生の時に師事した国語教育界の大御所の教授も、授業を進める中で時間が残ったらまず漢字の書き取りをさせるとよい、とよくおっしゃられていたことを想い出します。書き取りはもちろん手書きですから、自分の頭で字形を想起し、それに添い手を動かさなければなりません。この一連の作業の中で、脳はどのような活動を行っているのかというと、まず側頭葉でひらがなやカタカナで示された文字を言葉として認識し、それに相当する漢字の字形を頭頂葉の中で描きます。目の前の紙面を視覚で把握するのは後頭葉、最後に前頭葉の機能である手の細かい動きを伴って頭の中で計画した文字を完成させます。一方、タイピングで文字を書くとなると、文字の音に対応した漢字を候補の中から選ぶこととなり頭の中で字形を構築したり、字形に添う細かい手の動きを必要とせず、頭頂葉や前頭葉の活動を促しません。手書きは基本的に全脳的な活動となるわけですが、これに美しく書く、という要素が加われば、体性感覚野、運動野などの更なる活動が必要となり、脳の成長が期待されます。書き取りをする脳の機能がまだ明らかになっていない頃、先賢はこの課題の教育的重要性を経験から知っていたのでしょう。
 書き取りを課す側の責任も重大です。標準字体というものを金科玉条のものとして、はねる、とめる、長短といった漢字の骨格には関係のないところを指摘してバツとすることがありますが、それはいけません。標準字体表の運用の注意書きにも許容の形を大切にするようにとあり、また「常用漢字表の字体・字形に関する指針」文化審議会国語分科会報告( 文化庁) といったすべての漢字の許容の形について丁寧に記した指導書もあります。ひらがなに至っては曲線が多く、標準字体さえ示されていないため、各教科書会社で違いがあり、例えばA社の「な」の下の結ぶ部分は三角形で、B社は丸くなっていたりします。
 文字というのは言葉であり、車のハンドルと同じで、その「遊び」の幅が狭過ぎても逆に緩過ぎてもうまく使いこなすことはできません。字形の許容の考え方が分かれば手書きする楽しさはまるで音楽を奏でるかのようにグンとアップするはずです。文字を手書きする教育的意義を教育者がしっかりと理解しなければならないでしょうし、また社会人の方々もこれについて考えていくことが大切かと思います。