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日本の古典文献からみえる 手書きと「人間形成」(2024年2月号) [2024]

 日本における心と書に関する文献について古くは平安時代、空海(七七四~八三五)の『性霊集(しょうりょうしゅう)』があります。その中には以下のような言葉が見えます。「古人の筆論に、書は散なりと云うは、但に結裹(けっか)かを以て能しと為すのみに非ず。必ず須らく心を境物(けいぶつ)に遊ばしめ、懐抱(かいほう)を散逸し、法を四時に取り、形を万類に象(かたど)るべし。」これは、ただ単に文字の形を書けばよいとしているだけではなく、文字を書くということは心を自然界にゆったりと遊ばせ、発想の展開を自由にし、手本となる法則を移り行く四季に求めて、文字の形態を森羅万象に具象化することがどうしても必要である、ということです。
 鎌倉時代、吉田兼好(生没年不詳)の『徒然草』には「手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし。見苦しとて、人に書かするはうるさし。」とあります。字の下手な人が、遠慮することなく手紙をどんどん書くのは良いことである。自分の字を見苦しいといって、他人に書かせるのは、いやな感じがするということです。この文には心を伝える書簡において文字を自分の手で書くことの意味についての兼好の考え方が示されています。
 南北朝時代、尊円法親王(一二九八~一三五六)の『入木抄』には「字形は、人の容貌、筆勢はひとの心操、行跡にて候。」という言葉が見えます。字の形は人間でいえば顔かたちであり、筆勢は人間でいえば心ばえやその立居振舞のようなものであり、筆勢に心のありようが表われるとして述べています。手書きをすることは大脳を広く大きく動かす行為です。筆跡に人の心が現われるが由にそれと向き合うことの大切さを先賢は述べています。
 最近、手書き教育が見直されています。スウェーデンでは保育園へタブレットを導入するなど国を挙げて教育のデジタル化を推進してきましたが、それが基礎学力の低下を招いているのではないかという指摘を受け現在、紙の本と手書きへと回帰してきています。手書き教育における「技能習得」から人の心を育む「人間形成」への移行は、世界的に大きな潮流となりつつあると感じています。