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教育史における読み書きの位置づけ(2024年3月号) [2024]

 人が言葉を話し始めたのは今から三十万年前頃とされています。これは、その頃の人の舌下神経の太さ(断面積)を頭骨の底部から測定したところ、四百万年前の類人猿や猿人よりも二倍太くなっていることから舌の動きが活発になったこと、すなわち「言葉」を使い始めたのではないかということによります。
 音声言語である「言葉」は、教育を受けずとも社会生活を営む中で自然に習得することが出来ますが、文字の読み書きはそうはいきません。文字という莫大なコードの習得には大きな負担が伴います。文字の読み書きを行う能力を身につけさせるためにはそれを強いる教育者の存在が欠かせません。中世の頃まで文字は王や貴族、僧侶あるいは書記などが独占するものであり、読み書き教育は一部の層で行われるものに過ぎませんでした。
 近世になり、工業的な発展と共に、読み書き教育は広く社会で行われるようになります。スイスのペスタロッチ(一七四六~一八二七)は、教育思想家、実践家として著名です。ペスタロッチは産業革命前後に始まった近代教育がまだ黎明期の頃、読み書きを学ぶことと人間性の陶冶の関係について検討をしています。ペスタロッチの著書「ゲルトルートは如何にして其の子を教ふるか」の第十二信では「我々には綴り方学校と書き方学校と問答学校とがあるだけである。そうしてこれに対して人間学校が必要である。」と述べています。教育が一般化する中で、ペスタロッチは読み書きの習得といった実学が人間性の陶冶と一体どのような関係にあるのか、既に模索を始めていたことが分かります。
 文字がボタンを押せば出来上がるだけでなく、作文や会話までもが人工知能によって行われ得る今日において、人間性の陶冶という教育の究極の目的に対する方法は、未だ明らかになっているとはいえません。しかし読み書きをする人間の脳機能が科学的な視点から解明されつつある昨今、読み書き教育と人間形成の関係が明らかになるのも歴史の流れになるかも知れません。