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「技能習得」から「人間形成」へ(2021年2月号) [2021]

 「書は心画なり」とは『揚子法言』問神にみえる言葉です。この著書は前漢時代のもので、二千年以上前からすでに書には人の心が表われることが言われています。「心正しければ則ち筆正し」は『新唐書』「柳公権伝」の言葉です。また「書は心の画なり」『慎思録』は江戸時代の学者であり教育家の貝原益軒の言葉で、文字はその人の精神・心情が写し出されるものだから、慎重に丁寧に書かねばならないと説いています。学校教育では「速く整えて書く」ことに重きがおかれてきましたが、今、古典の文言にあるような「情操の育成」や「品性の陶冶」といった書の側面が見直されてきています。
 明治三十六年、岡山県立津山中学校の教諭であった板谷浩は『鶴城』(岡山県立津山中学校内済美会刊)において以下のように述べています。「近来公徳という新たな国語が吾人の間に出来たため、吾人の道徳心は、一段の進歩を来たした様に思われる〈中略〉故に適当な教育を与えて新たに国語を知らしめ、正しき、精神上の整頓をなさしむるという事は、実に大切なる仕事である。」この「国語のはなし」と題された論文は、国語教育が「品性の陶冶」に資すべき役割を果たすべきである、という理念を体系化したとして国語教育の思潮史に残っています。現在、書写書道は国語教育の範疇において行われていますが、このような「品性の陶冶」は道徳や芸術といった課目においてなされるものとされ、国語はその役割を担わず、書写書道は「技能習得」にのみに焦点が当てられてきました。
 モラルの低下に起因した事件が大きな社会問題となっている昨今、知識としてモラルの大切さを伝えることに難しさを覚えている人も多いかと思います。スマホやパソコンで文字を打つことが日常である一方で、巷ちまたではわざわざ手書きしたりする場面もよく見られるようになったと感じています。手書きすることの脳への影響の研究が進む程に「書は心画」という古典的な言葉の意味が明らかになってきています。「技能習得」から「人間形成」へと書写書道教育の視点は確実にシフトしつつあります。

手本から学べること(2021年1月号) [2021]

 戦後、書道の授業で手本に似せて書くことの学びについて書写書道教育者の間で疑問が高まった時期がありました。手本とそっくりに書くことを強いる書写書道教育が戦前の型にはめる教育を想起させるとか、書は人なりと言う位だからそれを型にはめるのはよくない、といった見方です。ただ実際に手本がなければ線を何本書くのか、止める、抜く、といった文字を構成する基本的な要素が分からないことになり現実的ではありません。活字を手本としたら、それを手で書くと筆脈が通しづらく手書き向きの書体とはなりません。活字のしんにょうが「⻌」で、筆写体が「⻌」であるように明朝体活字に代表される字体は手書きの手本には不向きです。
 もちろん手書き風の教科書体という活字もあります。これにしても本来枠の中に一文字一文字を埋めていく活字なので、作品全体としてみるならば他の字との変化や調和についてまで考えて作られてはいないのです。
 例えば、半紙の中央に「十」の文字を書くとしましょう。水平な線を水平に、垂直に書くべき線を垂直に書くことの難しいことを実感します。また予定どおりの位置に書くことも意外と大変なものです。自分の手が思い通りに動いてくれないことにイライラしますが、脳は成長しています。人類の進化は手作業の発達と比例していますし、大脳皮質における手を司る領域は広範囲にわたります。基本となる点画を書くのも同じです。「はね」や「折れ」などはリズムや指の細かい運動の訓練が必要となってきます。また、「田」の文字を書くとしましょう。文字は空間を均等にして見せると読み易く、しかも明るく美しく仕上がります。この均等に区切るにせよ、空間の完成予想図を想起する他の動物には持ちえない高度な能力が必要になってきます。人間は他の動物と異なり、家を建てたり、彫像を創ったり出来ます。
 このように手本を参考として頭を鍛えます。頭を鍛えるために書をしているのではなくても、そこで鍛えられたものが再び書として現われるわけですからそれが書は人なりとなるわけです。
 手本といっても五体字類のような字典の文字を参考にすることもあるでしょう。しかし権威ある古典の文字を集めて作品とすればよいというわけでもありません。このような文字の中には極端に右肩上がりだったり、メリハリのない文字もあります。これはその古典の文章の前後の文字との兼ね合いの中で調和をとるためにあえてそうしていることがあるからです。
 手本の文字を参考にして作品を仕上げるためには自分の頭で考え調整することが不可欠です。手本の真似から始まり、自らの頭と真正面から向き合い、思考を深めていくことは型にはめる教育の対極に位置します。自在の力を期すれば手本から学べることは多いものです。会員の皆様の今年一年の益々の飛躍を祈念しております。